2/11:サラエボ
【スケジュール】
Mostar6:18-9:15Sarajevo
【TRAVELOG】
5:30に目覚しで起床。宿の親父の作ってくれた朝食を食べて6:00に宿を出発。雨は止んだようだ。
駅までの道は真っ暗。駅に着くと切符売場に乗客がたむろしている。ところが入線時刻が近づいても係員が来る様子がない。しょうがないので切符を買わないままホームに上がると列車は既に入線していた。乗客の半分は国連派遣の兵士。彼らは何処から乗ってきたのだろう。サラエボ行きであることを確認して乗り込む。全部1等座席の表示。確かに2等座席と比べると立派。
発車してしばらくすると車掌が周って来るので切符(写真左)を購入。サラエボまで7マルク。「Jugoslovenska Zeleznice」の表示の上から「ZELJEZNICE BOSNE I HERCEGOVINE」のシールが貼ってある切符だった。夜が明けてくると、一面の雪景色。山の中だからだろうか。サラエボも雪だったら大変だろうな。
途中車窓左側下方に線路に垂直な橋が中途半端に架かっていて、その上に蒸気機関車とタンク車が飾ってある。あんな位置にかつての線路はあったのだろうか。その直後左側に旧線のような跡があった。さらに山の中でループ線の様な線路が見えたが、確認できなかった。
中間地点の駅でサラエボ発の列車と交換。良く見るとパンタグラフが付いている。ディーゼルカーかと思ったいたが電車だった。通勤の近距離以外で電車が使われるとは珍しい。この駅の側線にはドイツ国鉄(DB)の2軸客車が沢山留まっていた。何故DB?この国は本当に理解を超えていることが多い。
BRADINA駅には「Bosnia Express」とロゴの入ったボスニアの機関車と客車が留まっていたが、使用されている雰囲気はない。駅名の表示板が変えられている様なので良く見ると、駅名自体が少し変わっている。ユーゴから独立の際に表記を変えたのだろう。
10分ほど遅れてサラエボ新駅到着。コンコースの屋根には穴が開いたまま。外は雪。しかもかなり積もっている。外にでて駅を振り返ると正面にも穴が開いており、右の建物は丸焦げのまま(写真左側)。既に復旧している市電(写真右側)に乗って町の中心へ。切符の買い方が分からないまま乗っていたら、検札で捕まって15DMの罰金。罰金を取りつつ切符の買い方を教えてくれないのも酷い。
サラエボは「東欧120%ガイド」が唯一の頼り。元プリンツィプ橋で下車して「i」を探す。Evropa Hotelの対面周辺を探すが見つけられない。郵便局があったので切手を購入。モスタルの駅側と同じ郵便局だが、切手の価格が違う。モスタルの局は間違ったのかな?今度は安宿を紹介してくれる案内所を探しに旧市街へ向かうがこれまた見つけられない。再度プリンツィプ橋の所からうろうろしていると旅行代理店の親父が中で手招きする。そこで「i」の場所を教えてもらい探すがやはり見つからない。教えてもらった辺りで建物の内部が案内所らしい所を見つけたのでよ〜く見てみると、そこが「i」だった。看板も何も出ていなくて、申し訳程度に扉に「Tourist Information Centre」と書いてあるだけ。これでは分からない。
ここで地図「SARAJEVO MINI TOURIST MAP」を貰い、宿を紹介してくれるところを教えてもらう。教えてもらったのは道一本北側の「Unis Tourist」というところ。1階にスイス航空のオフィスが入っている。今晩の宿を頼むとすぐ近くのsove(40+朝食5+手数料2マルク)を斡旋してくれた。宿の人が迎えに来てくれるまで空港への行き方を聞く。この雪は一昨日から降り出したらしい。サラエボ自体そんなに雪は降らないそうだ。
宿はアパートの5階。しばらく部屋で休んでいるとコーヒーとケーキを持ってきてくれた。宿の人が言うには、目の前のマーケット(写真右)は爆弾が落とされたという。確かに周囲の建物は焦げた後が残ってる。
「SARAJEVO MINI TOURIST MAP」に従って街を歩き出す。(番号は「SARAJEVO MINI TOURIST MAP」のもの)
22 Roman Catholic Cathedral, 1884/89 : 何度か通るが一度も開いているのを見ない。国連関係の車が付近に駐車していること多し。
19 Mak Gallery : ボスニアの伝統工芸の様なものが飾ってある。
18 Museum of 1914, Assassination in Sarajevo : 元青年ボスニア博物館。名称も変更しており、閉鎖したまま。目の前の橋の名前も変更されている。足跡も埋められたらしいが雪で埋もれていて確認できず。
17 Gazi Husrev Bey Bezistan-Bazaar : ?
時計塔近くのモスク : モスクに入るのは初めて。親切に案内してくれた。
15 New Temple Gallery : 確認できず。
14 Jewish Museum (Old Jewish synagogue),16th c. : 入れず。
16 Svrzo House, 1640/19th c. : 見つけられず。
市立博物館 : 見つけられず。
13 Old Serbian Orthodox Church, 1539. : セルビア正教会は初めてだった。教会というよりは懺悔室の集合体の様な感じ。
10 Gazi Husrev Bey Mosque, 1531. : 建物は本当に素晴らしいが入れず。
11 Kursumlija Medresa (Islamic high school), 1537. : 入れず。
9 brusa Bezistan-Bazaar(Covered Market), 1551. : 土産物屋のマーケット。
12 Morica Han, 16th/17th c. : 入れず。
8 Galley IPC "E" : 確認できず。
7 Old Town Hall : 工事中で入れず。
1 Alifakovec Cemetery (Moslem Cemetery, 15th/16th c.) : 入れず。
ロープウェイ乗り場(写真右) : 破壊されたままで動いていない。施錠されており入れず。
2 St.Anthony Church, 1914. : 入れず。ミサの時間には開放する模様。
3 Emperor Mosque, 1566. : 祈りの時間に入ってしまった。
4 New Jewish Synagogue, 1902. : シナゴーグを頼んで見せてもらう(写真右)。ユダヤ人のセンターを併設。
5 Academy of Fine Arts (Former Complex of Protestant Church) : 立派な名称の割には小さな展示室のみ。
6 CSC Skenderija (Complex of Cultural, Sport and Business Centre) : 体育館などは閉鎖している模様。ここで昼食(おやつ?)。Cavapciciが4マルク程。結構おいしかった。
新聞社ビル(写真右下) : 破壊されたまま。砲撃の穴が生々しい。
Holiday Inn Hotel : 本当に無傷で奇麗なまま。
双子ビル : 上部からかなり修復が進んでいる。
国連駐在ビル : ガラスの吹き抜けなどは破壊されたまま。
33 Alipasha Mosque : 入れず。
Kosevo Stadion Zetra Olympic Hall : 開いているゲートから中に入る。グランドも観客席も雪で埋もれているが損害はなさそう。但し、裏山は国連軍管理の緩衝地域でバリケードに覆われており、一般者立ち入り禁止。
共同墓地:宗教毎に一応区分けはされている。年代の新しい墓もたくさんある。
32 Dardanija Hotel : 普通のホテル。何を見るのだろう?
27 Bosnia Hotel : 普通のホテル。何を見るのだろう?
スーパーマーケットで土産を物色。チョコ&キャラメル製造会社のやたら重いお菓子を購入。ピンク色で異様に甘いウイロウのようなこのお菓子は予想通り不評で未だに職場ではほとんど手付かずで硬くなりだしている。Bbragoのミニカーが1台3マルクだったので3台購入。後で見た店では2.7マルクだった。
日本大使館(領事館?)はシャッターが下りていて閉鎖中の模様。
夕食を食べに再び旧市街へ。安いメニューのある店が混んでいたので、空くまで周辺をうろうろ。中に入るとメニューが書いていないのでバラバラに頼む。ビール(3マルク)、サラエボスープ(2マルク)、サラエボディッシュ(6マルク)、パン(0.5マルク)、コーヒー(0.5マルク)。
結局雪は夜になっても止まない。明日もこんなに降っていたら飛行機が飛ぶのかちょっと不安に感じながら寝る。
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