2/10:モスタル
【スケジュール】
Dubrovnik8:00-11:15Mostar
【TRAVELOG】
サラエボ行きのバスはバスターミナルを8:00に出る。7:15に宿を出るが宿の人が起きていないようなので鍵をテーブルの上に置いてきて出てしまった。
市内バスでバスターミナルへ。雨が振ってくる。モスタルまではKn78。サラエボまでのほぼ半額。時間もほぼ半分(サラエボまで6時間30分、モスタルまで3時間)国際バスなためかeurolineの表示。余ったクーナで飲み物などを購入。バスの中には昨日旧港で見かけた日本人がいる。やはりモスタルまでらしい。
一昨日の道をPlocaまで戻る。同じ道のはずなのに来るときになかったパスポートコントロールがある。しかし、クロアチアの出国だけでボスニアの入国審査はない。最も国境らしきゲートもなにもない。掘っ建て小屋が一つあるだけ。しばらく先のバス停では乗車を拒否される人達。一体なんなんだろう?Plocaを過ぎてから再び(?)国境。運転手が皆のパスポートを集めてまとめて持ってゆく。ここはゲートもあるし本物の国境。残念ながら出入国スタンプは押してもらえない。ボスニアに入ってすぐのところで休憩。店ではクーナが使える。
ボスニアに入ると破壊されたままの家屋が目立つ。町全体が破壊されているというより特定の家が狙われたようだ。やはり民族浄化が行われたのだろうか。小さな街を幾つか過ぎ、国連車の駐車場がある大きな街が現れたと思ったらモスタルだった。町に入る道路には即席のバンプが設けられている。戦車か何かのための対策なのだろうか?駅と併設されたバスターミナルには11:15到着。駅の端にある「i」で一緒に降りた日本人と共に宿と町の見所を紹介してもらう。道からすこし入ったところのため最初通り過ぎてしまった。
ここの家は日本のように室内では靴を脱ぐ。雨が降り続いているのでしばらく宿で様子を見るが、止みそうにはない。傘を差して旧市街へ。燃えたままのビル(写真上)も沢山残っている。郵便局で切手を買うと1.5マルク/枚。宿の親父に教えてもらったレストランで昼食を食べる。全然英語が通じないので、指差しでどの肉を焼いてもらうかを選んだ。3.5マルクとは本当に安い。
爆撃で落とされた橋(Ex Stari Most)(写真左)の横に木製の仮橋(写真右)が架けられている。対岸に渡って進んで行く。他の橋も落とされたままの場所が多くて、なかなか元の方に戻れない。大分先まで進みやっと戻れた。
モスクは何処にも入ることはできなかったが、定刻になるとアザーンがスピーカーから流れてくる。橋の側の「i」で絵葉書を購入。1枚1マルクとは高いなぁ。しかも英語がほとんど通じないのにも困った。橋を眺めるテラスの側に「Don't Forget」の石碑(写真右)。
駅まで戻る通りにエアーボスニアの代理店。そう言えば町に入る直前に空港があった。欧州内やアメリカへの価格が出ているが結構安い。
駅前の大きな橋を渡り再び対岸へ。この辺りが新市街の中心地らしく、大きなビルがある。しかし破壊されているビルもこちらの方が多い。写真を撮ろうとするが、既に暗くなりはじめていてシャッターが切れない。
大きな郵便局を見つける。なにか駅側の郵便局と違っている。中に入り、日本までの料金を聞くと1マルク。何で料金が対岸の郵便局と違うのかを局員に聞くと、こちらはクロアチアだという。確かに切手の表記も異なり、ボスニア・ヘルツェゴヴィナだけでなくクロアチアの文字も入っている。つまり、川のこちら側はクロアチア政権のようだ。そうするとサラエボではさっき購入した切手も使用できないかもしれない。そこでサラエボから投函しようとした人の分も絵葉書を追加で購入し、宿に戻って書く。バスで同じだった日本人は駅のサラエボ側を見てきたが特に何もなかったと言っていた。
TVのニュースは何を言っているかさっぱり分からないが、コソボ問題とボスニア分割についてのニュースばかり。宿の親父はボスニア分割に賛成しているイギリスやアメリカの悪口を言っている。コソボ問題は日本でも伝えられているが、その陰に隠れてボスニア分割も着々と進んでしまっているようだ。夕食の前にハガキを書き上げて投函しに行く。雨は未だに止まない。
夕食はチキンピラフ。宿の息子はモスリムだそうでお酒は飲まない。明日は6:15の列車に乗りたいといったら、その時間でも朝食を用意してくれるという。これは非常にありがたかった。シャワーを浴びた後TVを見ていると突然の停電。雷が近くに落ちたのだろう。しばらくして電気は復旧した。明日の起床にそなえて早めに寝る。ベッドのある部屋はストーブがないらしく、居間のソファーをベッドに変形させて親父、日本人と同じ部屋でほぼ雑魚寝の形。
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